吉田正音楽記念館 企画展
歌手=@橋 幸夫 展   

平成 17年7月1日(金)〜平成17年9月30日(金)(終了)

会場:吉田正音楽記念館
 

先生の自宅でレッスンを受ける若かりし橋幸夫氏

      ■ 展示内容 ■

  吉田正先生の愛弟子としての橋幸夫 

  コンサートで使用したステージ衣装  

  なつかしいレコードジャケット      

  レッスンに使用した楽譜など      

  吉田正先生との交流の足跡

  吉田正先生の新たな一面の発見

 

  〜時を超えて〜ゆめ・夢ライブ2005

 
 開催日 7月30日(土)  終了

 時 間 16:00〜20:00

 会 場  吉田正音楽記念館前特設ステージ
 観 覧  無 料 

 内 容 

 第1部  みんなで歌おう吉田メロディー&
                 おやじ系音楽団ステージ


 第2部  橋幸夫さんと踊れ! 盆ダンス in Hitachi

 
 

 

 

   橋幸夫さんと踊れ!盆ダンス in HIitachi

 

〜橋幸夫 プロフィール〜

昭和18年5月3日、東京生まれ。9人兄弟の末っ子。
昭和35年、デビュー曲「潮来笠」の爆発的ヒットで、日本レコード大賞新人賞の第1回受賞者となる。

その後は、「江梨子」、「若いやつ」、「舞妓はん」、「恋をするなら」、「雨の中の二人」、「あの娘と僕」、「恋のメキシカンロック」、「佐久の鯉太郎」、「子連れ狼」と立て続けにヒット、昭和37年には、「いつでも夢を」で日本レコード大賞を受賞。更に昭和41年には、「霧氷」で 2度目の日本レコード大賞受賞。更に日本レコード大賞大衆賞、企画賞、日本歌謡大賞特別賞などを次々に受賞。

昭和36年から41年にかけては、毎年10枚以上のシングルレコードをリリース。
現在までに発表した曲はシングル、アルバムを含め500曲を越えている。

また東京、名古屋、大阪などの大劇場で1ヶ月の長期座長公演も約15年続け、その間ホノルル・サンフランシスコ・ロサンゼルス・ブラジルなどの海外公演も積極的に 行った。

昭和63年には、日中国交正常化15周年記念に上海文化広場で3万人コンサートを行い、国際親善にも大いに貢献。歌、映画、舞台、テレビ、海外と まさにマルチタレントの第一人者と言える。

平成元年には、老人性認知症となった実母と橋幸夫一家の愛の物語を描いた「お母さんは宇宙人」を発表、ベストセラーとなる。長寿社会に突入した日本の老人医療、介護問題に、一石を投じた。続いて平成7年には、第 2弾「宇宙人バンザイ」を出版。現在も、その体験を交えた講演が全国各地で大きな関心を呼び、好評を博している。

平成11年「美空ひばりメモリアル選奨」を受賞。また平成12年5月には文部大臣より歌を通してのさまざまな活動に対し「特別感謝状」を授与された。更に 、この年10月より平成13年12月まで「御三家メモリアルコンサート」全国120ヶ所の公演を行う。

平成13年1月、結婚生活30周年を記念して、「別れなかった理由―夫婦の絆を求めて―」を出版。

平成15年、還暦を迎え、同年青森県の日本の火祭り「ねぶた観光大使」に任命される。

平成16年6月6日、アテネオリンピックにおける五大陸リレー聖火ランナーとして東京を走った。

平成17年は芸能生活45周年を迎え、モンゴル国親善大使にも任命された。
45周年記念曲の中でも、モンゴルの壮大な自然を唄った「優駿の風」、「テムジン」を発表。
この2曲が「愛・地球博」モンゴルパビリオンのテーマソングとなっている。

そして”一年中お盆の気分を忘れずに頑張れニッポン”をテーマとした「盆ダンス」が日本全国でブームを起こしている。
また、今までの芸能生活と自身の人生を振り返った新刊「夢の架け橋」を発表し、新生橋幸夫として益々の拡がりを見せている。
 

主催:日立市・吉田正記念事業推進委員会